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お宝いろいろ(2)

いわきに着いて、
山ごもり用の食材を買い込んでいる間に
東北南部の梅雨が明けました。
エアコンの効かない中、
ホコリにまみれながら粛々と
作業を続けます。

家族が溜め込んだ物量もさることながら、
なぜウチの実家にあるのかわからないものが
現れるのにも度肝抜かれます。

伯父(=母の長兄)に宛てた掛け軸も、
包んであった地元の地方紙の日付から
推測すると、
母の実家経由としか考えられない。

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戦前戦中に満洲で農業指導していた伯父が
持ち帰ったもので、津川氏は漢詩を、
孝さんは七言絶句の一節を書いています。
この他、書がもう一幅、
松の木に止まるフクロウの絵が一幅があります。

孝さんの書いた

「三田聚宝真生涯」
(さんでんしゅうほうしんしょうがい)

この言葉で検索してみると、
中国のサイトがヒット、おそらく
七言絶句の一部らしいことはわかりました。
しかし簡字体が読めず、それ以上は
よくわかりませんでしたが、
漢字それぞれの意味を調べると、

「選りすぐった土地に、
大切な珍しいものが
たくさん集まり、蓄えられる。
それが本当の、正しい
一生の生業(なりわい)となる」

…を意味する成句のようです。

敗戦を経て帰国するとは言え、
それまでの仕事をなかったことには
しない言葉として、伯父の心に
残ったのではないかと思いたいです。

伯父は、私が小学生の頃にガンで亡くなり
記憶もボンヤリしていますが、
ずいぶん若死にだったと今にして思う一方、
この掛け軸を書いた人たちも、
未だご存命なのだろうかとも思ったりします。

実家に来た由来が不明なのは、
この“くけ台”も同様。
伯母(=母の長姉)のくけ台は、
すでに姉が譲り受けているので、
《母方の祖母→母》の
ルートのものではないかと推測。

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8月3日のNHK総合で放映された
「この世界の片隅に」でも、
すずさんが
着物をもんぺに作り直すシーンで
使っています。
床に置いた板の上に座り、
起こした棒の先に付いた金具で
布端を挟み、ピンと張った所を
縫っていきます。
慣れると、裾まつりやなみ縫いの運針が
楽に、早く縫えると聞いています。



平の市街にある郵便局に勤めていた父は、
どんな伝手があったのか
今ではわからなくなってしまったものの、
いろいろな方から、結構な量の古い葉書を
譲り受けていました。
その中で目を引いたのが、これ(↓)

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朝鮮から、平にある洋品店に勤める
同僚または後輩?に宛てた葉書。
「検閲済」のスタンプは目立ちます。
消印は、昭和16年6月25日。

裏も見ると…

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なんとイラスト付き!コピーは、

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「すわ 敵機来襲 …高射砲」

拝啓 暫(しばら)く御無信(むしん?ぶしん?)致しましたね。
その後 貴君にも お変わりなく 当店に従事して居る事と 遠い朝鮮の空より察して居る 小生も相変わらず元気で軍務に精働(せいどう)して居ますから 他○(1文字判読不能)したら 御○(1文字判読不能)心下さいね
どうですか 内地の気候は 農家の田植を終りて 大分(だいぶ)忙しい事だったろう 朝鮮も今 田植が盛りですよ 田植などは変わりがないけれども ツルが○○○○(4文字判読不能)亦(また)地に落ちて(=降りて※注1) クビを長くして ノソリノソリと 歩いているよ 飛んで居る所や 亦遊んでいる所は 内地には 見られませんね 小生も初めてですよ
どうですか 平市(たいらし)の検査は 終わりましたかね
貴君も 御身を十二分に大切にして 一生懸命に 働いてくれたまい(くれたまえ)←※注2
小生も 今後共○(1文字判読不能) 軍務に勉励(べんれい)致します
では亦 その内に
サヨナラ


注1→「降りる」を「落ちる」と言う
いわき独特の言い回し

注2→「い」と「え」が混同される、
これもいわき独特の言い回し、発音・表記。

※ 書き下しとふりがなは、ひぐちによる


こんなに短い文章の中にも、
いわき訛りが混じる所に思わず微笑。
終わり近くにある
「平市の検査」と言うのは、もしかすると
徴兵検査のことなんでしょうか?

未確認ですが、葉書の受取人は、
母が中学の制服縫製の仕事をしている時に
お世話になったテーラーの
ご主人だったと思われる方で、
多分昭和2年生まれの母よりは年長のため、
この時期、徴兵検査に引っかかる年齢
だったのかも知れません。

今は整理と片付け優先で、
他の葉書までチェックが至りませんが、
後日の楽しみに取って置きます。

で。

今回一番の驚きは、これ(↓)
消印からすると、
昭和12年3月23日、横須賀より。


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当時仙台に住んでいた父に宛てた
伯父(=父の長兄)からの葉書。

《勉強ばかりしていないで、
たまには花見など愉快な事も楽しめ、
欲しいものがあれば
少々なら金は都合出来るから
遠慮なく言って来い》

…と言った文面。

(横須賀や東京なら
花見の季節直前かもしれないが、
仙台はおろか
いわきでも桜はまだだと思うよ、
おんちゃん…
そしてほぼ同様の内容で次兄からも。
さらに当時高等小学校だった弟
(=四男→その後、海軍に入り
テニアン島で戦死)からも、

「お母さん(祖母)が
「○○(父)はさっぱり手紙をくれない』と
言っている」

…とトドメの一撃。
父の筆不精っぷりが図らずもバレました)


伯父たち(父の長兄、次兄)が海軍にいて
(二人とも兵学校に行ったらしい。
制服姿の写真があった。
ちなみに父は三男、徴兵されて陸軍へ)
次兄(2番目の伯父)が
長門に乗り組んでいたことは
知っていたものの、
一番上の伯父が 愛宕 に乗っていたのは、
この葉書を見るまで知りませんでした…

所属の「補機部」の「補機」って何か?と
ググってみると、




…私の知ってる伯父の
「農家のおんちゃん」っぷりとは、
かなりかけ離れてるという感想しか
出て来ないです…

by yomoyamagachou | 2019-08-05 16:44 | よもやま話 | Comments(0)